書きたかった感想は全てここに。

主にお笑いレポ。無知なくせにすみません。

【お笑い】ナイツ塙「言い訳」の感想

ナイツ塙さんの「言い訳~関東芸人はなぜM-1で勝てないのか~」を読みました。
M-1の感想を恥ずかしげもなく晒し、見当違いなことを
書き残しているこのブログの書き主としてはこんな魅力的な本はないぞ!!!!!と思い本屋を巡るが全然売っておらず…取り寄せてようやく読むことができました。

できるだけネタバレはしたくないのですが、
感想を書くにあたりどうしてもネタバレになってしまう
ところがございます。
まだ読んでないかたはくれぐれもご注意くださいませ。

また、私がハライチファンのため、
後半はハライチについての感想になっております。















 

はっとさせられたこと①漫才には流派がある

M-1という素晴らしい大会は、みんなのもの!
という意識が私の中ではありました。
だから、なんで吉本の芸人ばっかり優勝するんだ?
という不満がずっとありました。
でも、漫才にも流派があって、関西or関東であり、
それは関西=吉本であったりする。
そんな吉本という会社が作った大会
M-1グランプリ」に他の流派が乗り込み戦いを
挑んでいるわけである。
当然不利承知で、それでも面白いものを見せようと
非吉本の芸人は頑張っている。
吉本は漫才の総本山。これはもう歴史がそうだから
覆せない。そこにどう殴り込みに行くか…
そういう見方をしたことがなくって
はっとさせられました。

はっとさせられたこと②M-1とは漫才のコンテスト

そんなこともちろんなんですけど、
M-1とは「これ漫才か?」という疑問と常に戦い続ける
コンテストなんだと。
バカリズムのR-1に対するコメントがあって、
キングオブコントに出られないのは納得いかない。
出られるコンテストがR-1しかない。
でも自分はコント師だ」と。
コンテストの概要がいまいち曖昧な大会ほど、
視聴者や出演者からは軽んじられるよなぁ…
その点M-1は漫才をする大会!という明確な大会で、
出演者が「これは漫才?これは?」と
試していくような感じがある。


ハライチ 岩井さんの葛藤

私はハライチのターンリスナーであり、
今私の人生の中でハライチのターンを
聞いているときが3番目くらいに至福の時間です。
そんなハライチはM-1の出場権があるにも関わらず
2018年はエントリーすらしていません。
これは、岩井さんが「M-1は新しい漫才を受け入れる
大会ではない。自分に正統派な漫才は作れない。
自分たちができる漫才で受け入れられないのなら
出てもしょうがない」的なことをラジオで語って
いらっしゃいました。(語句は違います。)


漫才とはなにか?という問題を、M-1という大会は
いつも考えさせられます。うまいのが漫才なのか。
ただ面白いだけではだめなのか…
岩井さんみたく、潔く「出ないぞ」とエントリーしない
芸人なんか稀で、どのコンビも「これは漫才なのか…」
と悩みながらもM-1に挑んでいるんでしょう。

 

澤部は強いけど、岩井は弱い……??

 確かに今までの漫才だとそうかもしれない。
でも、ラジオでは明らかに岩井>澤部だと思う。
というか、岩井=澤部だ。
私は澤部も岩井も単体だとそこまでツボにはまらないが
ハライチの二人で話しているトーク
びびるほど面白いと思っている。
私はハライチのターンの何気ない会話の中に
ハライチの漫才を勝手に生み出し、笑ってる。
できれば、もう一度M-1に出てほしい。
そのままのハライチでと思ってます。

二期に求められるものも新しさであれ!!!!!

塙さんは一期(2001年~2010年)は「新しさ」を、
二期(2015年~)は「経験」が求められていると
分析しておりました。
私はそもそもM-1の出場資格が
15年に延長されていることが反対で、
もう10年に戻してほしいと思ってます。
M-1ではわくわくする新しいものが見たい!と
思っているからです。
いつかのアンタッチャブルや、南海キャンディーズや、
オードリーみたいに…
だから、2018年はトム・ブラウンみたいなのがいると
わくわくしましたね。
そして霜降り明星が優勝。
2019年は新しさが求められるのではないかと、
密かに期待しています…

(第七世代とかいうワードも出回ってることだし…)

 

お笑い好きは是非読んでみてください

 とにかく分析が凄いというか、納得させられる箇所が
絶対あると思います。
M-1が大好きな私は、この本を読んでまた見方が
変われるような気がします。(良い方向に)